ジョニー・デップ(Johnny Depp, 本名: ジョン・クリストファー・デップ二世、John Christopher Depp II, 1963年6月9日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、ミュージシャン。身長178cm。血液型はO型。
ジョニデと略されることもある。
ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいる。フランス人、アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族の血を引く。
家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住。1978年に両親が離婚。子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという。12歳で酒を飲み始め、14歳の頃からドラッグに手を染めるなど、どん底とも言える青年時代を送った。しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意。16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。
「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った。
近年では、オアシスの曲やローリング・ストーンズのアルバムにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。
2010年にはイギリスのインディーズロックバンド・ベイビーバードのアルバムにも参加し、PV撮影の監督も行い、更には自らのレコードレーベル"UNISON MUSIC"を設立し、新人発掘を行っているらしい。
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20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚。その時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。その後『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。当初は俳優の仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレスト との共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。
1990年公開の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。
俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年に、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。
1999年にこれまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。
映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディとの間に長女をもうけたことを機にデップの生活は公私共に急激に変化した(下部詳述)。2003年に子供の勧めにより出演したディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収め、世界的な規模で爆発的な名声を獲得した[9]。同年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に選出され、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
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2004年公開の『ネバーランド』でイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーを好演し、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。その後も基本的には性格俳優であり、パイレーツ・シリーズでファンとなった観客を驚かせるような企画、役柄にも取り組み続けている。
2007年公開の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で、初のミュージカル映画に出演。この作品でゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。
2009年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に再び選出された。
製作側の説得によりフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプ・ストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。
近年はベロアのテンガロンハットと茶縁でセルフレームの大きめの眼鏡(もしくは同じフレームを使用したサングラス)に口髭のイメージが定着している。また自身のメガネフレーム(TartのArnel)はファッション誌に取り上げられるほどに人気を誇っている。腕に付けている ビーズのブレスレットは愛娘からの手作りの贈り物である。
母親の名と、二人の子供の名、数字の3、またアルファベットの刺青を施している。なおアルファベットについては、単純に好きな文字だからと話している。
2011年5月、BANG Media Internationalによると、過去にハット・パーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたことがあるほどの帽子好きだが、その数は桁違いでパリに所有するアパートの二部屋を占領しているという。しかし、数が多すぎるためにパートナーのヴァネッサ・パラディから増えすぎた帽子を処分するように言われている。関係者は、デップはどの帽子も気に入っているから他の家に移すのではないかと語っている。
また、眼鏡のコレクターでもあり、これまで出演した映画『ニック・オブ・タイム』、『ナインス・ゲート』、『シークレット・ウィンドウ』で着用していた眼鏡は全て自身の私物である。
アメリカのサインコレクター雑誌『オートグラフ・マガジン』が発表した「ファンにサインする際に態度が丁寧な映画俳優」で3年連続1位に輝いている。同誌は「穏やかで気さくにサインをしつつ、ファンに話し掛けて親しくなろうとする」「プレミア会場でもレストランでも、映画のロケ中でもほとんど、最高に気前良くサインしてくれる人物」と評価している。
ハリウッドの中でも数々のヒット作を持つジョニー・デップだが、そのギャラや年収も破格の額を稼いでいる。
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2008年6月、経済誌『フォーブス』誌が発表した2007年6月から2008年6月までの1年間の中で映画出演を含めたあらゆる仕事でハリウッドにおいて最も稼いだスターを発表したランキングでデップは72億円を稼ぎ、ランクインしている。同誌の2009年度に発表されたランキングでも約27億円を稼ぎ、俳優部門で第10位にランクインしている。
2009年11月、BANG Media Internationalによると、パイレーツ・オブ・カリビアン第4弾『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』に2100万ポンド(日本円で約31億円)のギャラで出演することを決めた。この高額なギャラをディズニーが支払えるのは3作目まで出演していたオーランド・ブルームやキーラ・ナイトレイなどが4作目には出演しないと明言しているため、その分のギャラが浮いたためではないかといわれている。
2010年9月、『フォーブス』誌が2009年からの1年間で「最も高額なギャラを獲得したハリウッドの俳優」のランキングを発表し、5,000万ドル(約42億5,000万円)以上を稼いで1位にランクインした。
2010年2月、米『バニティー・フェア』誌が2010年に「最も稼いだ映画関係者トップ40」を発表し、デップは1億ドル(日本円で約80億円)を稼ぎ、2位にランクインした。内訳は世界中で大ヒットを記録した映画『アリス・イン・ワンダーランド』の出演料が4,000万ドル(日本円で約32億円)、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の前払い金が3,500万ドル(日本円で約28億円)、アンジェリーナ・ジョリーと共演した映画『ツーリスト』が2,000万ドル(日本円で約16億円)、残りが過去作からの収入となっている。
2011年8月、『フォーブス』誌が2010年の5月1日から2011年5月1日までの1年間で「最も稼いだハリウッド俳優」のランキングを発表し、推定5,000万ドル(日本円で約40億円)を稼いで2位にランクインした。
子供思いでも知られるデップは2008年に娘のリリー・ローズが腎臓病で入院したロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院をひそかに訪れ、「娘の命を救ってくれたお礼」として100万ポンド(日本円で約2億900万円)を寄付した。さらに娘が助かったことに感激して2007年11月には同病院を映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウの衣装を着て、患者の子供達におとぎ話を聞かせるサプライズも起こしている。
2009年11月、WENNによると、映画でブレイクするきっかけを作ってくれたニコラス・ケイジが財政難で苦しんでいるのを知り、協力を惜しまない意向を示している。
デップは過去に太っ腹なチップを残すセレブとして話題になっており、シカゴのレストランで映画『パブリック・エネミーズ』のレッドカーペット・イベントを祝って監督やキャストと食事をしていて、大人数での食事だったこともあるが4000ドル(日本円で約32万8,000円)という高額なチップを払っている。当時のレストランのウェイターは「デップは15人のグループで食事をしに来た。チップは12人で均等に分けた。これまでウェイターを務めたセレブの中でデップが一番」と語っている。
2010年2月、ハリウッドのきらびやかなライフスタイルから離れ、フランスで恋人のヴァネッサ・パラディと子どもたちと住んでいるデップだが、カリブに島を買ったのは衝動買いだったという。デップは「僕の人生のすべてのことと同じで計画はしていなかった。なんとなく起こったこと。恋人と子どもたちと一緒にバケーションに行って、島が売りに出されてるって聞いたんだ。この島なら誰かにジロジロ見られず、カメラを向けられたり、指をさされたりすることもない。ありのままの自分でいられる場所だと思った」とコメントしている。
2010年10月、メール・オンラインによると、ロンドン郊外グリニッジにある小学校に通うベアトリス・デラプちゃんが小学校の近くで撮影をしているジャック船長宛てに「わたしたちは海賊見習いです。先生たちに反乱を起こすつもりなので助けに来てください!」と応援をお願いする手紙を書いたところ、手紙をもらったデップはジャック船長の姿で海賊たちを引き連れてベアトリスちゃんの小学校にサプライズで訪問し、ベアトリスちゃんの手紙を取り出して「これを書いたベアトリス、出ておいで」と声を掛け、「今日は反乱を起こすべきじゃないな、警察がおれを見張っているんだ」と反乱中止を伝えたという。
2010年10月、英大衆紙『The Sun』によると、デップは総額8万ドル(日本円で約640万円)をポケットマネーで支払い、防寒用のジャケットを500着購入し、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』のスタッフにプレゼントしたという。
海外での映画撮影の場合、ハリウッドの役者は控え室やロケ先の家としてトレーラーを使用することが一般的となっているが、2010年11月、デイリー・スター紙によるとデップが『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の撮影時に控え室として当初、用意されていたトレーラーに不満を示したところ100万ポンド(日本円で約1億3,170万円)の予算でインテリアデザイナーを雇っていいとの許しを得て、高価なアンティークや手編みのじゅうたん、モロッコ風のランプ、クッション、鏡、モザイクタイルなどが運び込まれ、モロッコテイストの豪華な楽屋に大改造したという。
一見、奇抜な衣装や化粧が先行して、なかなか素顔が分かりにくい彼。あまり感情を表に出さない感じがするのも「思春期」を孤独に過ごしたせいだろうか。しかし、彼のファンを大切にする気持ち、子供に対する愛情からは人として「昇華」した姿だと思えてならない。
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